眼が見えにくくなり、音も聞こえにくくなっています。美貌はまだまだかわいい女の子です。

奈良時代にはすでに採掘がはじまっていた多田銀銅山

多田銀銅山は阪急梅田駅から電車バスを乗り継ぎ 2時間ほどのアクセスです。

兵庫県河辺郡猪名川町にある静かな鉱山あとです。

もともとは川に銅のふくまれる鉱石をみつけたらしい。

 

今もその気になればこの辺りには銅が含まれる石があるらしい。

 

坑道には個人で入ることを進めます。

得体のしれない暗闇で恐怖を感じることができます。

真夏にぴったりです。

 

 

 


2018 6歴史を感じる多田銀銅山

6月初旬は菖蒲が美しい池田城

f:id:purinmammy610:20180603224850j:plain

こじんまりした菖蒲園ですが紫、ピンク、白、黄色の菖蒲が入り乱れてオシャレに咲いていました。

                                                                         f:id:purinmammy610:20180603224953j:plain

 

f:id:purinmammy610:20180603225504j:plain

 百合が有名なのですが1週間早かったようです。

 

f:id:purinmammy610:20180603225559j:plain


2018 6初旬 菖蒲とゆりの池田城

 

日本三大奇勝の妙義山

軽井沢から東京方面に向かう上信越自動車道の高速道路松井田妙義手前のトンネル上に

妙義山が存在感いっぱいでそびえています。

 

 

f:id:purinmammy610:20180530204914j:plain

 

f:id:purinmammy610:20180530205149j:plain

トンネルを抜けると雄姿はなくなり残念でした。

 

f:id:purinmammy610:20180530210027j:plain

 

f:id:purinmammy610:20180530210612j:plain

淀川河川公園 京都八幡市背割堤の桜 

淀川三川合流地域 桂川宇治川・木津川が合流するエリアは一年を通し美しい自然を楽しめるスポットです。

特に最近では素晴らしい桜並木がマスコミをにぎわすようになりました。

  

f:id:purinmammy610:20180406142759j:plain

明治時代まで淀川の水害が多数発生したそうです。

そのため改良工事が行われ、木津川の堤防の背を割る形で宇治川の流路が付け加えられてできたのが背割堤だそうです。

 

その後 昭和53年に建設省によって背割堤に約250本のソメイヨシノが1.4キロにわたって植えられたそうです。 

約40年の時間が桜の大木を育てました。

f:id:purinmammy610:20180406134932j:plain

桜並木

花びら舞う桜のトンネル、菜の花やたんぽぽ 一度に春の香りを運んできます。

 

例年より今年のさくらはずいぶん早く4月5日ではもう葉桜になりつつありました。

それでも見物客は多く 駐車場は近隣にはありませんでした。

  

京阪電車八幡市駅」より すぐに男山ケーブがあり国宝石清水八幡宮に参詣することもできます。

f:id:purinmammy610:20180406151738j:plain

八幡宮からの眺めも素晴らしく 背割堤をあたり一帯の景色として見ることもできます。 

f:id:purinmammy610:20180406151527j:plain

世界最長のつり橋・明石海峡大橋・舞子海上プロムナードを楽しむ

f:id:purinmammy610:20180401152237j:plain

 

f:id:purinmammy610:20180401151404j:plain

明石海峡大橋は本州と四国を結ぶ世界最長のつり橋です。

シーサイドホテル舞子ビラ神戸は舞子公園のエリアにあります。

客室からの景色は絶品で 淡路島のハイウェイオアシスにある観覧車まで見ることができました。

 

f:id:purinmammy610:20180401151445j:plain

 

 


2018 3 29 舞子ビラ神戸からの眺め

 

 

明石海峡大橋・舞子海上プロムナードは空中に作られた遊歩道です。

一部床面がガラス張りにしてあります。

直接 海の表情を見ることができ スリリングな感じがしました。

展望ラウンジもあり明石、淡路島、行きかう船等をみながらお茶を楽しむことができました。

 


2018 3 30 舞子公園・舞子海上プロムナード

旧鐘紡舞子倶楽部・旧武藤山治邸は明治40年に舞子海岸に建てられた西洋式住宅です。
武藤山治氏がお亡くなりになった後は、鐘淵紡績㈱により「鐘紡舞子倶楽部」として従業員の厚生施設に利用されていたそうです。

明治40年築とは思えないおしゃれな建物でした。

明治時代は海外の国々に影響を受け 日本が西洋化していく文明開化の時代であったことをかんじました。

暖炉、テーブル、いす、リンカーンの自画像、ステンドグラスの窓等々西洋に追いつこうとする明治の日本を感じました。