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季節の移り変わり自然の美しさ思い出の数々記録しています

ウェルネスパーク五色は五色町が生んだ偉大な日本人高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)の功績を讃えて後世の人々に語り継ぐための記念の公園だそうです。

別名高田屋嘉兵衛公園ともいわれています。
高田屋嘉兵衛の菜の花館、ログハウス、オートキャンプ場、洋ランセンター、体験農園、テニスコート、手作り体験ができる夢工房、全天候型多目的ドーム、五色温泉、ホテル、レストランというかんじです。


子供広場もあり 愛犬ともゆっくり散歩することができます。

公園入り口すぐに瀬戸内少年野球団の像がありました。

洲本市出身の作詞家、阿久悠さんの子供のころの野球好き少年達の自叙伝的な話だそうです。


モニュメント「愛と希望の鐘」もあり、こちらは和田あき子さんの「この鐘を鳴らすのはあなた」がテーマだったそうです。

高田屋嘉兵衛の菜の花館は 高田屋嘉兵衛の業績と足跡の資料館でした。

高田屋嘉兵衛は1769年、現在の五色町都志に6人兄弟の長男として生まれたそうです。
幼い頃から海に親しみ22歳で大阪と江戸の間を航海する樽廻船(たるかいせん)の水主となり、船乗りとしてのスタートを切りました。
優秀な船乗りとなった嘉兵衛は、海運業に乗り出し28歳で、函館を商売の拠点としました。
ロシアとの国防対策、エトロフ島とクナシリ島間の航路を発見したり新たな漁場を開くなど、北方の開拓者として活躍します。

ロシアとの外交トラブルにも たったひとりでロシア側の誤解をとき 両国和解の道をひらいたことは 作家司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」でも有名です。
「今でも 世界のどんな舞台でも 通用できる人」・・・・・いま日本に一番必要な人間だと思いました。


晩年は、故郷淡路島にもどり、港や道路の修築など、郷土のために力を尽くし、59歳で自宅で静かにその生涯を閉じたそうです。
高田屋嘉兵衛さんは 今も海を眺めながら この地で眠っておられました。